Kの家のテラスでワインを飲みながらマイケル・ナイマンを聴いているときに、バルトの言った「punktum」という概念は、彼がある写真の中のネックレスを見たときに感じていたこととは違うような気がしてきた。ある音からある音へわずかに音階が移行したときに突然こちらにやってくる感覚は、むしろ「caresse(愛撫)」に近く、同じようにラテン語で言うならばそれは「carus」になるだろうか。つまり、ある写真や音楽(だけに限らないが)に感じる、ある種の特別な感覚は、「突き刺す(pointer)」というようなものではなく、もっと流れでていくようなものであり、それは、肌を撫でる手の温度や質感のように、どこかある一点を指すものではなく、常に「intime(親密な、私的な、内奥の)」なものであるだろう。
そのような話をした後に、終電を気にしてKの家を出るときの切なさは、やはりなにかしら彼女にintimeなものを感じているからであろうか。It's sad (that you leave)はいつの間にかI'm sadに変わっていた。仕方がないので、左手で頬を撫でて、部屋を後にする。
permalink September 28, 2009