堀江敏幸の芥川賞受賞作『熊の敷石』を読み終えて、ふと文体に覚えがあることに気づいた。デビュー作であるエッセイ集『郊外へ』におさめられたうちの数編を、すでに高校時代に読んでいた。白水社の「ふらんす」という雑誌で、氏がはじめての連載を持っていたのが、パリ郊外をめぐるエッセイ(のような小説)である、『郊外へ』だった。そのあとがきでも、これはすべて創作である、と言っていて、現実の体験と創作が混ざっていく感じなどはまるでエルヴェ・ギベールのようだな、と思っていた。実際、堀江氏はギベールのいくつかの小説を訳していたのだが、とりわけ覚えていたのは、同じく高校時代に読んだギベールのエッセイ集『幻のイマージュ』だった。
これは、個人的にはロラン・バルトの『明るい部屋』と並ぶ、写真論(写真をめぐる物語)の最高傑作だと思っている。写真は個人的なものであり、愛や性、そして喪失の物語である。「欲望をぬきにして、写真を語ることなんて出来っこないよ。(中略)映像というのは欲望の本質であって、映像から性を取り除くのは、それを理論に還元してしまうことになるんだよ・・・」。エイズと闘い、36歳で自殺未遂ののち死亡したギベールの部屋には、マヌエル=アルバレス・ブラボの殺された若い労働者の写真(1934年)が飾られていたそうだ。エッセイには、この写真を買った夢をみた、と書かれているのだが。
・・・撮影されずに終わった写真、撮ろうとしても撮れなかった写真、失敗した写真、これから撮ってみたい写真、あるいはほかの写真家が横取りするように撮ってしまった写真・・・これらが彼のファンタスムであり、それはまた、母をめぐる物語でもある。美しい母の姿を撮影したカメラにフィルムが装填されてなかったくだりなど、バルト的でありつつも、さらにもう一歩「身体に近い」。
1981年に執筆されたこの断章は、ギベールの写真に関する造詣の深さと審美眼を表しているが、30年近くたった今も、あるいは今だからこそ、感覚的に近く感じることに驚きを隠せない。ポケットに入る小さなローライ35で(大きなカメラについては「小さな道具」という章で皮肉っている)スナップショット、ポートレート(セルフポートレートも数多く撮影していた)を「個人的な物語」として撮り続けてきた彼だからこそ、写真をめぐる物語と写真とが乖離していないのだ。多くの写真論とはそこが違う。写真論の書き手が撮影者でもあることは珍しくはないが、記号やスタイルに還元しない、「個人の物語」として写真を考えていることが、彼が特別なものにしている。
「身体に近い」と書いたが、このように安易に身体の話に還元しまうのは危険なことでもある。最近は舞台芸術が流行っていて、誰もが抽象的で安易な言葉で身体を語る。結果として、舞台を撮るほとんどの写真家が、身体からますます遠く、ダンスに「潜在的に」存在する写真をとりのがしているかがわかる。踊る身体の美を確信して撮影された、すぐれて写真的なその映像は、写真家のものではなく、ダンサーのものである。ギベールはこう言っている、「美は芝居と同じく、はかなさに、喪失に結びついており、捕獲できないものだと言われ続けることだろう。ただぼくが望んでいるのは、写真家が写真のなかにもっと舞踏を(あるいは芝居を、あるいは映画を)取り入れてほしいということなのだ、ダンサーが舞踏に写真的なものを取り入れたように」。よく見かける、腕を組んで威嚇する「写真家先生」自身のポートレートは、写真家と呼ばれる人たちの傲慢さを表しているような気がしてならない。「確信」は写真からもっとも遠い。
ちなみに『熊の敷石』(文庫版)の表紙には、ギベールが撮影した「Belours et Agneaudoux」という、クマと羊のぬいぐるみが裏返しになった写真立ての前で抱き合っているモノクロ写真が使われている。『熊の敷石』は「異文化コミュニケーション」が増えてきた今日この頃、相手に無意識のうちに石を投げつけるようなことをしているのではないかと、自制を込めて考えるきっかけになった、すばらしい作品である。作者と思しき主人公とユダヤ人のヤンとのやりとりなどは、ぼくがリトアニアでよく会って一緒に白ビールを飲んだ、あのユダヤ人の彼女との会話に通じるものがある。そして、ぼくも彼女を理解しよう、知ろうという態度「ゆえに」、結果的に石を投げつけていたかもしれない、と思った。
撮影しても後悔し、撮影しなくても後悔する。写真は『熊の敷石』に通じるところがあると思う。ギベールが小さなローライ35で撮影していたことの意味は、いまはわかる気がする。
ダンスを撮る写真家も、そのシャッターが身体に投げつけられた「敷石」でないかどうか、今一度確認していただきたい。
permalink September 2, 2009